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真実はここにしかない。。②

           『長谷章宏-YouTube』

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真実は、ここにしかない。。


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「長谷結理君事件」における裁判の真実 

 平成20年(わ)第1660号、第1809号(1審)
 
 罪名:死体遺棄、保護責任者遺棄致死
 
 平成21年(う)第1523号(2審)、平成22年(あ)第1129号(3審)
  
 平成20年7月14日(月)京都地方裁判所 第101大法廷において始まり、8回(1審6回、2審2回)に及ぶ公判の過程、何度も繰り返し行われた打ち合わせの全過程において、長谷章宏・真由美夫妻は誰一人、何一つとして批判する事無く、二つ(善悪、生死、美醜、正誤)に分ける世界の、法律というルールに則って、真摯に真剣に一貫して真実(一如の世界)を語り続けてこられました。この裁判は当初より真実を語る事自体が目的でありましたので、法的な過程について多くは公表してきませんでした。
 しかし、事実としてこの事件は『冤罪』であり裁判の前提に基づいて『無罪』は『無罪』でありますのでその事実を記載します。

 近代裁判の大前提には「刑事裁判とは、検察すなわち行政権力を裁く場である」という事があり、これは暴力装置を備えた国家権力をもってすれば、どんな証拠もでっちあげる事が出来るし、嘘の自白を引き出す事も出来、誤認逮捕も行われる。この権力の横暴から被告を守る為、検察側には捜査、取り調べ等の過程において落ち度が一点でもあれば、そして真実の証明が少しでも不完全であれば被告は無罪とされます。(デュー・プロセス・オブ・ロー及び検察官の立証責任)
 近代法の思想とは「1000人の罪人を逃すとも、1人の無辜を刑するなかれ」という事で、それに基づいて「疑わしきは罰せず」という「推定無罪の原則」が生まれています。 
 
 この公判において争点は「遺棄行為に当たるか、故意・共謀があったか」であり、平成21年10月6日に判決「懲役 6年、未決拘留日数中各120日を、それぞれの刑に算入する。」とされた。
 理由(1)保護責任者遺棄致死の成否としてア、イ、ウの3つの項目に分かれ検討されているが、裁判官の主観による記述で大半が覆われ、具体的、客観的にどの証拠、どの発言でそう判断したのか、の記述は少ない。
 
 その中から抜粋して挙げると「また、被告人真由美の4月25日付けたばこメモには『うりちゃん 全身ミイラ化(まー涙止まらず)」との記載があり、本件児童が著しく痩せた身体となっていて、同被告人がこれを見て涙を流したことが読み取れる。この記載の意味に関する同被告人の公判供述は、衰弱が霊の影響によると感じていた点は信用できるとしても、全身の著しい衰弱を否定する点は到底信用できない。』とされているが、証拠として採用された4月25日の写真を見ると一般人、通常人とされる人が見たとしてもまるまるとした顔のうりちゃんが写っており「衰弱」などはみられず、「うりちゃん 全身ミイラ化」とは真由美さんが霊界を見て感じとった事をそのまま表現したものである事がわかる。 
  
 『被告人章宏は、公判定において、本件児童の体が大人の引き締まった体形になってきて腹筋も付いていたのを確認したとか、同児がしっかり立って両膝を屈伸したなど、肉体的衰弱とほど遠い状態であった旨供述するが、当時の本件児童の身体や表情を撮影した動画の内容とは余りにかけ離れており、この部分の供述を信用する事は出来ない。』とあるが、これはうりちゃん自身が霊障との戦いのため、自ら断食を続けて体格をシャープなものとし、5月のはじめには父親の手をかりながら歩く意思を示している動作をしている。…長谷さん自身がこういった認識をしたもののなかに「衰弱」の事実はなく法律の「保護責任」が発生する前提が無い。
 
 『‥ミルク等を飲まなくなったことについても、霊障や悪い想念と戦っているためであるとか断食しているなどと解釈していたことは認められるが、そのような解釈ないし思い込みによって一般人とは異なる意味づけをしていたとしても、本件児童の衰弱状態という事実の認識ができない状態にあったとは認められない。』
 ここで、一般人と異なる意味づけをしている事、を認めながら(一般人と同じように)衰弱状態という事実の認識ができない状態にあったとは認められない、だから「故意」だとするのは矛盾する。
 
 『被告人らが母乳やミルクが同児の肉体維持に資することを否定していないこと等も踏まえれば…生命に対する危険性を認識していたと認められる。』 
 「否定していないこと」と「危険性を認識していた」、だから「故意」だと結び付かない事は明らかであるし、肉体的な食べ物と体を維持する事の関係も公判で詳しく説明されている。
 
 『医師に診せても霊障と戦う本件児童の症状には対処できないと考えていた被告人らに同児を病院に連れて行くよう期待することは、一定程度困難であったと認められる。しかしながら霊的世界では全ての出来事が必然で行動の自由がなく、後付けの解釈ができるに過ぎないとする点は、当時の被告人らの生活行動等からみて、誇張している疑いが強いし…』
 長谷さんの公判の供述で、今はもう自動的に、その行動しか取れない、自分の思った事を100%、それしかしない、やらないというか、それしか動けない旨供述されており、これを確かめるには1日でも長谷さんと行動を共にしてみれば、思ったらもう行動している、一定程度ではなく外の行動は一切とれない、意味は後付けでしかわからない事の確信が持てるはずであるがそれもせずに、ただ単に自分達の主観で信用できない、と言っているだけ何も立証されていない。

 長谷夫妻の語る「霊的真実」には一貫してどこにも矛盾が無いが、判決文は矛盾が多数あり、こじつけがあるだけで一般人がみても合理的疑いを差し挟む余地がないまでに立証されたとはとても言えない。立証責任が果たされていない以上、この裁判の判決は「無罪」である。
 
 
 そして、平成22年6月2日 大阪高等裁判所において出された控訴審判決では、「本件各控訴を棄却する。被告人両名に対し、当審における未決拘留日数中各20日を、それぞれその原判決の刑に算入する。」とされたが理由を見ると、抽象的な言葉を並べもっともらしく聞こえるが、具体的には『4月25日に撮影された本件児童の映像によれば、同児は「ミイラ化」というほど極端ではないとしても、頬の辺りが4月14日や同月15日の映像と比べてかなり痩せている事が明白である。…被告人真由美においても、本件乳児が母乳やミルクを飲んでいた時期よりも痩せたとの印象を持ち、その印象が上記の赤ん坊の霊が見えると考えるきっかけとなったことが推認できる。』とあるが
 生まれた頃より、頬の辺りが痩せたから、霊が見えると考えるきっかけとなったことが推認できる…では一般人が見ても関連性が無くこじつけにしか見えず、衰弱の認識があったという事の「立証」にはならない。

『被告人章宏が本件乳児が生存していることにわざわざ言及し、また、被告人両名又はその関係者らが、食事等による栄養補給の必要性を認識する発言をしており、これらの発言は、生と死の区別を当然の前提としている上、…』
 食事等による栄養補給の必要性を認識する発言をしたのは関係者であり、長谷さんが「よし、生きている」と言ったとしても、言葉というものは単語それ自体に意味があるのではなく、関係性の中で意味が発生する(置かれている背景によって意味が変わる)ものであるから、生と死の区別を当然の前提としているという事にはならない。

 『食事や執筆活動などの日常生活をし、また、本件乳児が死亡した前日には執筆を終えたお祝いとの趣旨で飲酒するという、世俗的な行為をしているのであるから、本件乳児の生死に関する場面についてのみ霊の存在の視点で事実を、見るとの見解は、到底受け入れられるものではない。』
 世俗的な行為、とあるが、公判における長谷さんの供述で
 「ワインというものの意味が、要は、神事の世界の意味だと、例えばキリストのワイン、葡萄酒とパンといってその象徴でもあるので、だから、僕は、わざわざ酒は飲みたくないんだけど、飲むっていうことになっちゃうこともあるんですね、そういう形に…。」
 「僕の執筆の本というのは、神社でいったらお札の役割をするんですね、お札とか祝詞の役割をする、文字にしたものの役割をするので、それが同時進行で、僕が執筆が終わったっていうことは大きな霊障のところが収まった。」とあり、霊の存在の視点で事実を見ている事がわかるが、裁判官はその部分を目も通さずに判決を下した、もしくは何の論証もせず自分達の主観を一方的に押し付けたもので「立証」にはまったくなっていない。


この裁判は「魔女狩り」の裁判である、歴史上の出来事は、今、現在行われている事である。逆さまの世界ではあっても、近代裁判の理念がまともに適用されているならば、この裁判は完全無罪なのであり、立証もせずに、こじつけで、一方的に犯罪者とされるのであれば、誰かにとって都合が悪いとみなされれば、無実の人がいつでも身体的自由を奪われ、懲役を科せられる‥、これが、現在の日本国の置かれている状況であり、逆さまの世界は危ない、というのは比喩で語られるものではなく、実際に現実的に目の前で、起きている事なのである。
 
 
 ※「死体遺棄罪の成否」についてであるが、判決理由に『‥意思を相通じた上、何ら葬祭方法をとる事なく、そのかわりに前期のような態様で腐敗を進行させる遺体の取り扱いをしたのであって、社会通念上是認されない態様での遺体の取り扱いであることは明らかであり、一般の宗教感情や死者に対する敬虔感情も害するといわざるをえない。よって、被告人両名には死体遺棄罪が成立する。』
 とあるが、実際に結理君の遺体は関係者によって火葬される事なく、現在も安置されているのであり、そのことを警察、検察、裁判所共に認知しており、「火葬せず安置する事」は一般の宗教感情や死者に対する敬虔感情を害するものではない事のお墨付きを法曹界が与えた事になるので、この罪は成立しない。
 成立するというのであれば、この事に関わった法曹界の人物を取り調べ、今からでも審理を地裁に差し戻すべきである。
 


 

 
プロフィール

Author:田中宏明
 兵庫県 
 淡路島洲本市生まれ

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