ノーベル賞とアインシュタイン

 1922年「光電効果の発見」によりノーベル物理学賞を受賞し、当時の物理学者でさえ完全に理解する人間は少数であると言われた相対性理論を構築したアインシュタインは物理学の頂点に立ちました。

 しかし、それまでのニュートン力学による「絶対時間」「絶対空間」の概念を否定する自身の相対性理論は受賞の対象とされず、木星の巨大火山クロノスより噴出された巨大彗星メノラーが地球に接近する事によりナイル河の水を赤く染め、エジプト脱出を計ったモーセの紅海割れの奇跡を起こし後金星の軌道におさまった事等、この「岩戸内宇宙」全体が「ユダヤの神」の預言(知恵の神の意志)の通りに動いている事を発見した革命的なヴァリコフスキー理論も受賞の対象とされず批判され、1978年にもはや瀕死の状態となっているビッグバン理論を後押しする宇宙背景放射を発見した事でペンジャスとウィルソンに賞が与えられている事からも分かるように、ノーベル賞委員会はスウェーデン王室共々「闇の権力者」達に乗っ取られており彼らの思惑の実現に貢献している(旧態依然の学問を維持する=管理される人間を痴呆の状態に置いておく)人物に与えられる賞で、本当に優秀人間は、NASA等軍の組織にヘッドハンティングされ常識的に生きている人達には想像もつかない宇宙観や科学技術を既に造り上げています。

 ノーベル賞を受賞した偉人天才科学者であっても、自らがルーズベルトに原子力とその軍事利用を勧める手紙に署名した事への「罪悪感」からか、露骨に原水爆の禁止及び反対運動への参加を表明しヴァリコフスキー理論への擁護を大々的に喧伝した為、危険人物としてアインシュタインは病室において暗殺されました…。

 使えるうちはいくらでも持ち上げるが、真実を知りすぎそれを公言するようになると邪魔者として消す。それが今世界を動かしている人達のやり方です。

 アインシュタインの理論がフランスの数学者「ポアンカレの論文」や「ローレンツ変換の公式」の盗用だという批判がありますが、アインシュタインの場合は「解釈の仕方」を別のものの変えているし、理論とは多かれ少なかれ他人の「考え方」の上に依って立つものであり、自分の「考え方」だと思っている事も子供の頃から家族や学校で教わった「考え方」であったり、純粋に自分の閃きだと思っている事も他の霊(神)的存在の「考え方」であったりで、自分の「考え方」等は存在しないのでこの批判は当たりませんが、問題はその運用のされ方で1972年秘密結社であるローマクラブによって唱えられた「限りある資源を大切に」という考え方に人々が合わせる事によって有限の世界が造り出されている基となっているのと同じ様に、一般相対性理論と言えども純粋に理論として設定されたもので過渡的にのみ有効な単なる技法だという事を忘れさせ、「光速度一定不変の法則」を基にした新たな有限の世界を造り出す絶対的価値観として用いられている事にあり、それを受け入れている我々の「無思考状態」にある事でしょう。

 「物理学」とは次の瞬間に起こる物理現象の予測学で、その為に必要なのは物体の「位置」と「運動量(どのぐらいの速さでどの方向に進んでいるか)」です。
 ミクロの世界を扱う量子力学における「不確定性原理」とは電子を観測する時の「例え」で言うと、普段私達がモノを見る時にはモノに当たって反射した光によって見ています。顕微鏡を使ってみる時も同じですが電子ぐらい小さくなると可視光線の波長では電子に比べて大き過ぎて「位置」を正確に知る事はできません。電子より小さい波長の電磁波というとガンマ線のようなエネルギーの強い電磁波しかないのですが、電子の「位置」を正確に知る為にガンマ線を当てるとそのエネルギーで電子ははじき飛ばされてしまって「運動量」が変わってしまいます。どちらか片方であればわりと正確に知る事が出来ますが両方同時の知る事は出来ません。
 これは観測装置の問題ではなくどんな方法を使っても原理的に人間が観測しようという行為自体が量子に影響を与えてしまい正確な観測は不可能です。

 ニュートン力学では、宝くじを買って当たっているかどうかは発表された当選番号を見るまではわかりませんが、それは自分が見ていないだけで既に当たりか外れかは決まっています。
 量子力学(ミクロの世界)では本人が番号を実際に見るまでは当選番号はまだ決まっておらず見た瞬間に当たりか外れかが確定されます。
 量子の世界で起こっているこういった従来科学の基盤を逸脱した奇妙な現象から、ボーアは「人の意識が現実を創造する」と宣言しました。

 アインシュタインに先立ち「相対性理論」を唱えたエルンスト・マッハにより、ある直線が水平であるかどうかという事はこれが水平であるという器具であるとか、原水平器のような物で計るしかなく最終的な基準は人間がこれが水平であると認知する事しかなく、科学的客観性とは「幻想」で究極的には人間の感覚をもとにするしかないと明かされ、アインシュタインの「相対性理論」では絶対的に正しい時間は存在しない、人間の数だけ味覚があるのと同じ様に人間の数だけ時間がある、つまり時間とは主観的なものである、とされコペルニクスにより宇宙の中心から放りだされた人間は再び中心に返り咲くきっかけをつかみながらアインシュタインは統一理論にこだわる事により量子力学の「確立論」は過渡的なものであるとして認めず結局は統一理論も完成される事はなく「相対性理論」も世界を裏で動かす人達の都合の良いように使われる事となりました。 

ユダヤ人でありシオニストであるアインシュタインは「岩戸内宇宙」の仕組みを解き明かすことで「世紀の大天才」と呼ばれ画期的な仕事を成し遂げましたが、「元ツ仕組み」の中で統一理論を構築する事は二つに「分かつ知」を押し進める事であり絶対に完成しないものである事や、「全ては自分」であり、針一本落ちても世界じゅうに響き渡る事から情報が伝わる速度は「無限」である事も分かる必要はなかったのかもしれませんが、アインシュタインに褒め称えられる日本人はそうであってはならず、「宇宙の中心」がどこにあるのかも知っていなければならないのです。
 


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ユダヤ商法と日本人⑥

 私の出身の幼稚園は、ドーム型の天井を持ち2階建てで建物内にはキリストや聖母マリアに後光の射した姿の施された巨大なステンドグラスがあちこちに張り廻らされ、側に造られた池には錦鯉が飼われマリア像が見守るようにして立っているという、典型的で本格的な教会の敷地内にあるカトリック・ミッションスクールのマリア=テレジア幼稚園で、入口には「疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい、休ませてあげよう」(マタイによる福音11章28節)と書かれた看板が立てられ、世間では「善」と呼ばれるキリスト教的価値観でモンテッソーリ教育が行われていましたが、「善」と「悪」、「右」と「左」、「表」と「裏」、「神」と「悪魔」、「否定的な見方」と「肯定的な見方」の中間にモノの本質があるため、まだ当時自我として先生に反抗しよう等という気持ちは芽生えていなかったのですが、意識の深い所では善悪のバランスをとる必要があると考え、教材の代金としてクラス全員から集めたお金の入った袋を廊下を隔てた教室にいる会計担当の先生に届けて欲しいと言われて預かったものを靴箱の中に捨てて帰ってきたり、花壇の花に水をあげるので水を汲んできてと言われても友達と一緒に水洗便所の便器から水を汲んで持って来たり、小学校に入ってからは考えられないような行動を度々繰り返していました。

 最年長組になると茶道の時間というのがあって、普段は洋風の教室の中で西欧人のシスター達に英語や聖書についての授業を受けているのに、突然純日本風の和室で子供にはその味を理解しがたい渋い抹茶を使った茶道が始まるのを不自然に感じていましたが、千(セイント)利休によってはじめられた茶道とはキリスト教の教えを変形させたものでお茶とお菓子が付いてくるのは、聖餐式における葡萄酒とパンという意味で、「侘び寂び」とは贅沢を慎み簡素に生きる事で、権力者でも茶室に入るには頭を下げてにじり口から入らねばならないのでキリストにひれ伏す事になり、キリスト教を隠れて布教するには都合の良いシステムであった様です。

 以前、自分の宗教的体験について過去を振り返っていた時、太平洋戦争の敗戦後戦争を引き起こした原因の一つが国家(カルト)神道にあるという口実を使い日本の元ツ神の御神気を封じ込める為、連合国側(イシヤ)により義務教育における宗教教育の禁止、見えざる共産主義的無神論の刷り込みにより盲目とされ社会人となった頃には「神様」と「仏様」の区別もつかなくなっていた、と思っていたのですが小学校入学以前は食事の前に園内では必ずお祈りを上げ週に何度か教会で講和を聞いていたので、今考えると宗教にはどっぷりつかっていた訳ですが、それが神事と思えず御神気のかけらも感じる事が出来なかったのは、教会内にはキリストの十字架や聖母マリア像がいたる所に配置されていましたが、これは「旧約聖書」「新約聖書」を神典とするキリスト教においてモーセの「十戒」の偶像崇拝の禁止を侵犯している事になり、「神権」を保持しない「キリストの母マリア」を崇拝する事や、キリスト像の前で「この人が神様ですよ」と教えながらお祈りでは「天にまします我らが父よ…」と唱え誰が神様でどこにいるのか先生に聞いても皆答えがバラバラで「父」「子(ヤハウェ=キリスト)」「聖霊」の3人が独立した人格を持ち1つの神界を形成している(三位三体三体同位)と明確に答えられず、魔女狩りをして多数の人を虐殺した歴史からも分かるように、カトリックにはユダヤ教の奥儀は伝承されておらず、使徒ペトロから歴代の教皇に継承されているという「神権」も保持されていない事になるからでしょう。

 教会にいくたびにキリストの十字架の前でお祈りをさせられましたが、立派な教会でしたのでキリスト像もかなりリアルでボロボロに破れた衣服を身に着け手と足に釘を刺されて死んでいる姿が弱々しく、まさかこの人が「神様」で自分達の願い事を叶えてくれる等と思えるはずもなく、講和で子供向けの聖書を度々読んで聞かせて貰いましたが、イエスがゴルゴダの丘まで十字架を担いで運ばされ躓いて倒れるたびに鞭で打たれたる話を聴いて可哀そうで何とか助けてあげなければいけないと思っていました…。
 最近ではユダヤの神の本当の正体を明かす情報も出揃ってきましたが、未だに日本人でありながら、子供の神(キリスト=ヤハウェ=天照大神=八百万の神)に頭を下げている人も多いようです。しかし、いい加減に目を覚ましてこの神を救ってあげなければならないのは我々の方で、そしてその時も既に来ているのでしょう…。

 

ユダヤ商法と日本人⑤

 「潜在意識活用テクニック」 「脱洗脳プログラム」
 を行う人達の編み出した原理とは「社会システムの構造」を自分で創り上げ、自分の中にある構造の設計図を分析し、他人にそのシステムの中での成功法を伝授して人を操り、金を儲ける…。
 自分で他人をカルトに洗脳して、自分は洗脳した本人であるので外し方も知悉している為、それを適用して「脱洗脳」して金儲けの手段とする、そして本人が気付いているかどうかに関わりなく「脱洗脳」した人達の教祖(指導者)となる…。
 
 という方法ですが、その近代における元祖とはアシュケナジーユダヤ教徒の家に生まれユダヤ人のみのフリーメーソン結社ブナイブリスの一員であったジークムント・フロイトであるでしょう。
 フロイトは「自己分析」を行う事によって得られた結果に基づいて神経症の治療を行いましたが、実際、狭溢な性格による強迫的な精神分析療法により治る患者も治らなくなった(神経症を発症した)という話も残されています。
 20世紀はフロイトの時代、医学や心理学のみならず現代思想の基礎付けをなした人物、等ともてはやされた人ですがマルクスとほぼ同時代に生きた彼の考え方は極めて唯物論的で、無意識というものを発見してスピリチュアルな印象を受けますがフロイトの言う無意識とは現実に起きた問題がそこに組み込まれると述べているだけで実体論的なもので、「無意識」とは当然「無意識」として意識されているものなので本来存在しないものですが、現在では自分のした事に対する責任逃れの為に使われているのみならず、潜在意識(無意識)活用法を用いた科学的という仮面を被った教祖を生み出す基となりました。

 フロイトの「夢判断」は、具体的な記述がそのまま象徴のレベルにまで引き上げられており、この発想はカバラ思想から来ているもので、他の精神分析医からも悪魔関係の資料を読み漁っていた事を指摘されたり「デーモンに取り憑かれた人物」と評され何かを隠していた様ですがユングとの対話の中で、「私はそれについての教義を作らなければならないのですが、あなたはそれが揺るぎない砦だとわかります。」と語り「教義」「砦」という言葉を用いる事で精神分析という宗教の教祖になろうとしている事を自ら暴露し「何に対しての?」という問いに対して「世間のつまらぬ風潮に対して…神秘主義のです。」と述べる事によって科学的精神分析と呼ばれるものの正体がイシヤ(知恵の神)の産物である事を証明しています。 

 フロイトは人間の心的な世界を乳幼児期から積み木細工のようにつみ重ねられたられた世界とみなし、過去に起きた否定的な出来事がトラウマ(心的外傷)となって無意識の奥底に抑圧され現在の行動に影響を与えると説明しますが、最新のスコトーマ理論において本当は「盲点」が存在しない事が「盲点」となっているのと同じ様に、過去の「トラウマ」が存在すると思っている事が「トラウマ」を作り出す事になっているのであり、人間の心的な世界とは今現在ある幻想の世界であって積み木細工の様につみ重ねられる訳はなく、「今」この瞬間の自分の選択によって過去の意味付けも未来に起こる出来事も決定されるという事に気付き、行動を変えなければ永遠に同じ処を回り続ける事になるのでしょう…。

ユダヤ商法と日本人④

 ある、日本でも有名なユダヤ人ラビは「現在、この地球上に存在している人間は総て、マルクス、フロイト、アインシュタインと言う3名のユダヤ人の影響をまのがれることは出来ない。」と言いこれらのユダヤ人科学者の影響力の大きさとユダヤ人の偉大さを誇示しています…。

 しかし、マルクス・エンゲルスによる「今日のあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」で始まり「万国のプロレタリアよ団結せよ」と締めくくられた「共産党宣言」により、理想の社会実現の為「《暴力》によるブルジョワジーの転覆」を公然と宣言する事により、ソ連のスターリンによる、意にそぐわない人物、農業集団化(コルホーズ)に従わない農民の6000万人もの人間の「血の粛清」、中国の文化大革命での共産党指導部に煽動された大衆運動による事業者等の資本家層、さらに学者、医師、高級官僚等の知識人達、そして中国共産党員にも及ぶ約6000万人とも7000万人ともいわれる人の虐殺を引き起こしました。
 私が高校卒業後、住み込みで新聞配達のアルバイトをしていた頃、赤(共産主義者)を自認する知人がおそらく狭心症の薬であるニトログリセリンを加工して爆弾を造り警察に逮捕されたと言う噂を聞きましたが、当時はまだ共産主義と言う幽霊にとり憑かれた人が多く、世界でも東西冷戦構造による核兵器開発競争及びアメリカ、ソ連の二つの大国による熱い戦争の肩代わりをする第三諸国による代理戦争等を引き起こし、マルクスの思想が人類に暗黒の歴史をもたらした所を考えると、目に見える崩壊に気づく事のない心の内面を扱ったフロイトの精神分析も我々の意識を縛りつけ、「あやま知」を植え付け、神気出づるを封じ込めるものとして機能していると考えられます。

 「イタリア建国の父」と言われイルミナティの最高指導者であるマッチィーニと親交があり、自身もフリーメーソンであるカール・マルクスの思想がイルミナティの七つの設立目的の焼き直しであり、「共産党宣言」「資本論」の執筆に先立って著わされた「まもなく私は人類に大いなる呪いを投げかける。そして世界は私の学問を受け入れ愚かにも滅んでいくのだ。」と言う啓示的な文章や、日本の理知主義的な宇野経済理論により論理的誤りを指摘されても「資本論」の売れ行きには影響せずマルクス主義が私的幻想解放のシンボル、救世思想として受け入れられていた事実を見るまでもなく、科学的社会主義と銘打たれたマルクスの共産主義思想は知恵の神(ユダヤの神)による神憑りの産物である。

 新世界秩序=ワン・ワールドとは言い換えると完全管理社会つまり世界的な共産主義の事であり、近代以前の社会では財産を共有する有神論的共産主義が理想とされ、そのままいくと世界統一政府樹立→ハルマゲドン→至福千年となるべき所を、自由意思を認めやれる所までは自分達でやらせるのが元ツ神であるので、17世紀以降人類が科学により神を語らなくても良いのではないかという還元主義(事物を最小要素に還元してそれを再び組み合わせればすべてが理解できる)への甘美にすぎるドライブ要因と機械論的志向、18世紀の産業革命による生産様式の工業化により都市に働く労働者達の疎外感に合わせて、人間の羨望、嫉妬、怨恨という感情の爆発を許すという飴を与え短絡的ではあるが政治経済理論により正当性を与えるという形で「知恵の神」が姿を変えて現れたものがマルクス共産主義思想で、この無神論的共産主義から世界的な共産主義=世界統一政府樹立→新世界秩序→ハルマゲドン→至福千年という流れは変わる事なく、自分の内側を変えず、外側にある社会秩序や環境を変えようとする限りどちらを選んでもイシヤの仕組みの中に取り込まれることになると言う事を当時の人々は証明してくれた事になります…。

 

 
 

 
プロフィール

Author:田中宏明
 兵庫県 
 淡路島洲本市生まれ

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